2015年04月07日
道とは何か?
≪道というものは、それが実在するという
確かな真実性をもちながら、
何の働きをするものでもなく、
また形をもたないものである。
それは心から心へと伝えられるものではあるが、
形あるものとして受け取ることはできない。
これを体得することはできるが、
これを目に見ることはできない。
それは、みずからのうちに存在の根拠をもち、
みずからのうちに根ざして生じ、
天地がまだ存在しない太古から、
すでに存在するものである。
それは鬼神や天帝に霊妙な力を与え、
天や地を生じさせるものである。
天の極みにある太極の上においても
高すぎることはなく、六極の底深くおいても
深すぎることはない。
天地に先だって生じながら、
時間の長久さを覚えることがなく、
太古より以前から存在し続けながら、
老いることのないものである。
上古の帝王のき韋(きい)氏は、
この道を得て天地を手にひっさげ、
伏戯(ふくぎ)はこの道を得て天地を構成する
気の中に没入することができ、
北斗の神の維斗(いと)はこの道を得て
永遠に狂わない標準となり、日月はこの道を得て
長くその輝きを失わず、堪坏(たんぱい)は
この道を得て
崑崙(こんろん)の山に入って神となり、
馮夷(ひょうい)はこの道を得て
黄河の神となって遊び、肩吾(けんご)は
この道を得て泰山の神となった。
黄帝はこの道を得て雲天のかなたにのぼり、
顓頊(せんぎょく)はこの道を得て玄宮に入り、
禺強(ぐうきょう)はこの道を得て
北極の神となった。西王母(せいおうぼ)は
この道を得て少広山にすむ神となり、
その生まれたときも分からず、その死んだときも
分からないほどの長生きをした。
彭祖(ほうそ)はこの道を得て、
上は舜の時代から、
下は春秋の五伯(ごは)の時代に及ぶ
長生きをした。
傅説(ふえつ)はこの道を得て、殷王の武丁
(ぶてい)の宰相となって天下を支配し、
死後は東維の星座にのぼり、
箕(き)や尾(び)の星に乗り移って、
星の神々の列に加わることができたのである。≫
今日は「荘子」の中から、
「道とは何か?」を紹介しよう。
解説は次回にしようと思う。
確かな真実性をもちながら、
何の働きをするものでもなく、
また形をもたないものである。
それは心から心へと伝えられるものではあるが、
形あるものとして受け取ることはできない。
これを体得することはできるが、
これを目に見ることはできない。
それは、みずからのうちに存在の根拠をもち、
みずからのうちに根ざして生じ、
天地がまだ存在しない太古から、
すでに存在するものである。
それは鬼神や天帝に霊妙な力を与え、
天や地を生じさせるものである。
天の極みにある太極の上においても
高すぎることはなく、六極の底深くおいても
深すぎることはない。
天地に先だって生じながら、
時間の長久さを覚えることがなく、
太古より以前から存在し続けながら、
老いることのないものである。
上古の帝王のき韋(きい)氏は、
この道を得て天地を手にひっさげ、
伏戯(ふくぎ)はこの道を得て天地を構成する
気の中に没入することができ、
北斗の神の維斗(いと)はこの道を得て
永遠に狂わない標準となり、日月はこの道を得て
長くその輝きを失わず、堪坏(たんぱい)は
この道を得て
崑崙(こんろん)の山に入って神となり、
馮夷(ひょうい)はこの道を得て
黄河の神となって遊び、肩吾(けんご)は
この道を得て泰山の神となった。
黄帝はこの道を得て雲天のかなたにのぼり、
顓頊(せんぎょく)はこの道を得て玄宮に入り、
禺強(ぐうきょう)はこの道を得て
北極の神となった。西王母(せいおうぼ)は
この道を得て少広山にすむ神となり、
その生まれたときも分からず、その死んだときも
分からないほどの長生きをした。
彭祖(ほうそ)はこの道を得て、
上は舜の時代から、
下は春秋の五伯(ごは)の時代に及ぶ
長生きをした。
傅説(ふえつ)はこの道を得て、殷王の武丁
(ぶてい)の宰相となって天下を支配し、
死後は東維の星座にのぼり、
箕(き)や尾(び)の星に乗り移って、
星の神々の列に加わることができたのである。≫
今日は「荘子」の中から、
「道とは何か?」を紹介しよう。
解説は次回にしようと思う。
Posted by 合同会社琉球の未来 at 09:29
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